相手は自分を殺すつもりなのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、やはり斬りかかってくる刃は、この身を半分に裂くまで止まりはしないらしい。
心が無いというのは全く難儀な事だ。生きる事を諦めた今では避けるつもりになれない。相手も感情ではなく、ただ、本能に従っているのだろう。理性を心と共に無くしたとしか思えない、――それを言うならば、自分にも理性はあまり無いのだけれど。

止めるつもりもないが、とりあえず防御として翳した左手が斬られ、中指と人差し指、そして親指が手首から離れ、飛ぶ。
この身体の事だから放っておけば生えるのだろうが、死んでも生えるのかは解らない…それはそれで見物だろうなと思う。死体から二度と使われる事のない指が生えるなどと滑稽この上無い。
『死』んだら終わるのに『生』えるなど、滑稽この上無い。
「――うん、これは…アホくさくもなるねぇ」
最期の発言は、先に逝った同胞の言葉への同意。
感情を信じていたのに、恐怖を感じず、自殺を決行した馬鹿への同調。
(悔しいけどね〜…)

刃が、薄く額にめり込んだ。



《許絶と拒容》



友人の死を知り笑う自分を、「不謹慎だ」と彼はたしなめた。
化け物でも見るような――無情を蔑んだ、あの視線の冷たさから考えれば、罵られた、の方が正しいのかもしれない。心の無い者を見るような目で見られ、心外だった。
けれど、不謹慎なのは彼の方だとしか思えなかった。無表情に悲しむフリをする彼こそ、まさしく不謹慎なのでは、と。

死の許容こそ、死者を笑う事よりずっと残酷な行為だと思う。哀悼?それこそアホくさい。惜しめ。命を惜しんで諦めるな。
そう思わずには居られない。居たたまれない。
許容とは、時と場合によってはただの諦めであり、拒絶の為の悪足掻きよりも、余程醜く見える。
この場合、友人の死の許容は諦めだ。足掻いてどうなると訊かれたら自分を納得させられるのだと答えよう。
そしてその内納得し、許容する。時間稼ぎでしかないのだが、それは仕方がない。死んだら終わりだ。何も続かないのだから、許容というかたちで終わらせるしかない。
「死んでも心の中では生きる」というのは信じない。ただ在るだけだ。
しかし、その脳に残る記憶ですら曖昧だ。「思いうかべる」という点においては記憶も空想も変わりはない、ならば言わずもがな、どちらもただの希望的妄想だ。
「思い出では生き続く」などと笑える冗談を言える人間は、きっと自分と同じで、死を許容できないのだろう。だが、そんな妄想に頼りたくない。そんな人間に成りたくない。
下らない意地だ。同じなのにただ違うものは見下す自分を、自分でも性格が悪いと感じるが、それでも死の許容は残酷であり、そして死は終わりだという持論は変わらない。
思い出の中の故人は笑う。だが笑う人間で在ったという証拠はどこにもない。笑顔で居てほしかったという希望から、記憶を美化している可能性だって有る。

だから、という接続詞で繋げるのはおかしいかもしれないが、一人で死ねるのは幸せだ。誰の記憶にも残らないように死にたい。消えてしまいたい。
(そんな残酷な事、死んだ後にされたくないもんなぁ…)
心がない友人達は、自分の死を受け入れるに違いない。気にもかけないか、もしくは、悼むフリで残酷にしかめっ面をするのだろうかと想像すると、このまま眼も脳も斬られるのは幸せな事のように感じた。
更に愛されなかったというのは、最大級の幸福である事は言うまでもない。生きている皆の記憶の中の自分は「そのまま消えるだけ」で、「改変されて自分を変えられて消える」事はないのだから。
虚しく幸せだ。

ふと、上に目を向けると、敵が笑っているように見えた。

刃が、深く頭に入り込



(はい、全部全て皆一切合切何もかも、あたしに関する事なら、終わり!)





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テヴクシア死噺。ミッション失敗によりターゲットに斬殺される、と!死の間際に死んだ後の事を考えるところが女性らしいってコトで☆笑←
元々一人で戦うのが得意ではないんで。近くに寄せてどうすんだよ、みたいな。あくまで殺傷能力有る人のサポート。失敗するの解ってたろうに行きやがったよ^^
自殺する気も殺されてやる気もなかったけど、ただ、生きるのが面倒くさくなってはいたから、殺されてもいっかな、みたいな。元々人間時代からつまらん生き方しとったから生きる事に対する執着が薄く、感情無くして更に薄くなってもうほぼ無い
あまり褒められた性格でないw冷めてるのは自分に対しても、なんだよな

あとはゼノだー…こいつは考えが親でも解らん、ってのでなく、考えがないから量りようがないキャラだから正直使い勝手悪い